本日のテーマ:【本質を見誤る思考の罠】

こんばんは! 水野です。

昨日のメールでは、お子さんを持つ親御さん向けに
メッセージをお送りしましたが、今日もまた親子ネタで
お話ししましょう。

今朝のことなのですが、倫理法人会に参加させて頂いた時、
講演してくださった方から、乙武洋匡さんのお母様の
お話を伺いました。

乙武さんは、皆さんもおそらくよくご存じの方でしょう。

先天性四肢切断という、生まれながらにして手足を持たずに
生まれた乙武さん。

しかし、そのハンデを感じさせないほどの明るさと活動で、
1998年初の著書「五体不満足」がベストセラーとなり、
一躍有名人となりました。

その後も、スポーツライター夜学校の教師など、精力的に
活躍して、今年からは東京都の教育委員に就任したとのこと。


そんな乙武さんを育てたお母様のエピソードが、
何とも心にドシンとくるものだったんですよね。

それは、生まれたばかりの乙武さんと母親との
初対面の出来事でした。

手足が無い状態で生まれた子供を見て、医師は、この子を
いきなり見せたら、ショックで母体が危ないと思い、

「黄疸が激しい」

と言って、子供を母親に見せず、そのまま1ヶ月間
引き合わせなかったそうです。

そして、1ヶ月の時間をおき、母と子が初めて対面を
する事となりました。

母親には、子供に会えなかった理由は黄疸ではないこと、
そして、体に少し異常がある、という事だけが伝えられ
そして、手足のない子供と対面することとなったのです。

準備をする医師側も、万全の配慮を持って臨みました。

もし母親が子供の姿を見て卒倒したときのために、
空いているベッドまで用意しました。

緊張のみなぎる中、いよいよ子供と母親との対面。

その瞬間、母や子供を見て、周りの人々が予想していた
言葉と全く違うものを口にしました。


「かわいい」


生まれながらにして手足が無い我が子を見て、驚くでもなく、
悲しむでもなく、喜びの気持ちを持って迎え入れられた。

乙武さんは、その出来事を「五体不満足」の中で
こう表現しています。

「生後1ヶ月、ようやく僕は『誕生』した」

と。


いかがでしょうか。

私はこの話を聞いて、もうすごい衝撃を受けたんですよね。

手足がなく生まれてきた自分の子供を見て、その第一声が、
「可愛い」と言えるお母様の素晴らしさ。

おそらく、ほとんどの人は、驚き、そして、将来を案じて
悲しんでしまうんでしょう。

私もきっと、そうなってしまうことと思います。


しかし、乙武さんのお母様は違った。

まずは、喜びと愛情を持って受け入れたんですよね。

しかし、お母様はなぜそんな乙武さんを喜びと愛情をもって
受け入れられたのでしょう。

ここから先は私の憶測でお話ししますね。

この話を、もし以前の私が聞いたら、

「おそらくお母さんは、今後我が子に襲いかかる不幸な
 出来事にも、しっかりと向かい合って乗り越えていく
 覚悟がその場で出来たからこそ、こういった喜びと
 愛情で我が子を迎え入れることが出来たんだろうな。

 さすが、母は強し、だなあ」

と思っただろうと思います。

そして、そう思えないで動揺してしまう自分を恥じて
しまったことでしょう。


でも、今はまったくそうは思わないんですよね。

ものすごく失礼な言い方に聞こえてしまうかもしれませんが、
乙武さんのお母様、たぶんそんなこと考えなかったと思うん
ですよね。

ていうか、なんも考えてなかったと思うんですよ。

ただただ、目の前に現れた我が子と100%向かい合った。

そして、その時に向かい合った気持ちを100%大切にした。

だから、「かわいい」という言葉が、素直に出てきたんだろうと
思うんですよね。


逆に考えると、同じような立場に立ったとき、驚いたり
悲しんでしまう人というのは、おそらく、

「五体満足で無ければ幸せになれない」

という、自分の尺度を子供に押しつけ、さらには、未来に起こる
であろう不幸な出来事を勝手に想像しながら、


 ■ 目の前の子供ではなく、想像した不幸とばかり向かい合う


ようなことをするから、驚いたり悲しんだりするのだろうと
思うんですよ。


こうして比べて書いてみると、


 ■ 目の前の子供と向かい合わない親がなんと多いことか


という事が、よく解りますよね。

昨日のメルマガで取り上げた親御さんたちも、向かい合って
いるのは、目の前の子供ではなく、親の価値観で勝手に想像した
未来の不幸な姿です。

しかし、親側は、子供たちのことを心底考えているつもりに
なっているんですよね。

これは、非常にゆゆしき問題のように私は思います。

よかれと思ってやっている事が、子供たちの可能性と未来を
潰してしまい、母子共に幸せをつかみそこねてしまって
いるのですから。


乙武さんのお母様は、今を見つめ、未来の不幸を勝手に
想像したりはしませんでした。

きっと、初対面の時と同じように、今の自分の目の前にいる
子供と、しっかり向かい合って育ててこられたのでしょう。

そんなお母様に育てられた乙武さんの中で出来上がった価値観は、


「障害は、不便ではあるが不幸ではない」


というものでした。

不便は、創意工夫によって克服することが出来ます。

だから彼は、体のことで不幸だと思ったことは
無いんでしょうね。


でも、子供に障害があることを不幸と感じてしまった親は、
目の前の子供ではなく、先の心配ばかりをして、ますます
不幸になっていきます。

そんな不幸だとばかり言っている親に育てられた子供は、
やはり、自分は不幸であると思い込んで育ちます。

そして、乙武さんなら、

「不便だなあ」

と思って創意工夫をして乗り越えていくような出来事を、

「不幸だなあ」

と思って、我が身を呪うことにエネルギーを使っていく。


親の育て方ひとつで、これだけの違いが生まれる可能性が
あるんですよね。


これは、子供を持つ親だけではなく、私も含め、
人を育てる立場にいる人は皆、今一度我が身を
振り返っておく必要があるように思います。

あなたは、乙武さんのお母様の姿を見て、何を感じ
今後どうしていこうと思われますか?
 
 

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  ● 編集後記
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あの人たち、恐るべき能力の持ち主なんだな。

468: ウエスタンラリアット(dion軍) 10/21(月)20:40 ID:6HvM7aFD0

 昔、自衛隊の専門誌に

「ヤクルトおばさんはソ連の情報部員ですら入れない部署にまで
 堂々と入ってくる」

 と書いてあってワロタ